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禅宗の位牌や過去帳、墓について




はじめに

先祖探しも戸籍調査が終わったら、次の段階としては、仏壇の中にある位牌や過去帳、または、墓の調査になります。

 

先祖探しになりますので、宗派は違えど同じことをしますが、浄土真宗と禅宗では得られる情報に若干の差があります。

 

浄土真宗の場合は亡くなったら皆仏様になるということで、生前の情報(俗名や続柄)などが少ない傾向にありますが、禅宗の場合はもう少し情報があり、生前の情報がある場合があります。。

 

浄土真宗の位牌や法名、墓について

浄土真宗はこちら

 

先祖情報

先祖が分かる情報としては。

①戒名

②俗名

③享年

④行年

④続柄

などがあります。

 

①戒名

基本的には記載されています、亡くなったらお寺で戒名をいただき、法事などでは戒名がメインの名前になります。

 

院号は貴族が寺院を寄進した位にならないとつけられないものでしたので、庶民には関係ないものでした、江戸時代に院号がつけられている場合は、武士だった可能性が高く、庶民で院号はほとんどないと考えられます。

 

その最上級は院殿と「殿」がつきます。

 

同号は仏教を習得した人につけられたものが始まりです、江戸時代の庶民でもほとんどの方に同号があります。

 

因みに浄土真宗の場合はこの部分が皆「釈」で統一されています。

 

戒名は亡くなったら俗名から戒名になりますので、ここがご先祖様の死後の名前になります。

 

位号は尊称です。●●さんや〇〇様という感じになりますが、ここの色々な種類があります。

 

居士、大姉:最上級の尊称になります、江戸時代の先祖に居士、大姉があればおそらくこれも武士だと考えられます。

その最上級は「清居士」や「清大姉」と「清」が更につきます。

 

中には「軒」や「庵」という位号の先祖もいます。

 

信士、信女:一般的な尊称になります、現在でも普通に使用されています、江戸時代の戒名でも一般的なものになります。

こちらも最上級には「清信士」や「清信女」と「清」がつきます。

 

禅定門、禅定尼:こちらも古い時代の戒名になってくると使用される頻度が高くなってきます。

最上級は「大禅定門」や「大禅定尼」と「大」がつきます。

 

居士、大姉は位号の最上級になりますが、信士、信女と禅定門、禅定尼に関してはどちらが上かは地域差があるかもしれません。

 

私の地方では信士、信士の次が禅定門、禅定尼になっていました。

 

戦後:院号がつけられる。

明治:位号が居士、大姉になる。

江戸時代(1800年代):位号が信士、信女。

江戸時代(1700年代):位号が禅定門、禅定尼。

 

戒名例

    死  西暦   戒名
延宝7年10月15日 1679 道徹禅定門
元禄11年9月23日 1698 妙源禅定尼
享保18年9月6日 1733 雄翁禅定門
享保17年2月23日 1732 妙槃禅定尼
寛保4年3月6日 1744 宥心禅定門
延享3年1月18日 1746 成光禅定尼
安永10年2月7日 1781 妙応良谷信女
安永10年11月3日 1781 螢岩道光信士
寛政6年11月16日 1794 妙照禅定尼
文政6年2月8日 1823 即応是心信士
明治13年3月14日 1880 禅外有定信士
明治17年5月9日 1884 禅南薫定信女
明治17年5月10日 1884 夏覚明庭居士
大正7年7月31日 1918 本覚明心大姉
昭和18年1月3日 1943 閑然良徳居士
大正13年2月28日 1924 閑宝智光大姉
昭和60年11月17日 1985 瑞啓院榮穂禪山心澄居士
平成24年4月27日 2012 瑞德院榮照禪室春澄大姉

 

初期には戒名2文字と位号しか無かったものが、その後上記のような変遷になります。

 

ただし、最後の2人は特殊な例です。

 

瑞啓院(院号)

榮穂禪山(同号)

心澄(戒名)

居士(位号)

11文字と長いです。

同号が2文字ではなく4文字だからだと思います。

 

この前お寺に確認したところ、11文字の戒名の場合1人50万円の費用が発生します。

当然夫婦で対ですから100万円の費用が発生します。

 

これを高いと思うか安いと思うかは個人の考え次第になります。

 

貞享3年8月2日 1685 鐘山宗林禅定門
元禄2年8月9日 1689 雲岳妙潤禅定尼
元文4年7月11日 1739 心葴宗寛信士
享保18年8月10日 1733 南嶺妙離信女
明和2年9月2日 1765 寛脉了秋信士
安永2年12月12日 1773 随縁妙音信女
寛政10年4月4日 1798 桶圓宗泉信士
宝暦12年2月2日 1762 霞山妙咏信女
天保5年2月4日 1834 徳峰道功信士
天保8年6月5日 1837 孝山妙貞信女
安政3年3月1日 1856 本源自性居士
文久3年3月19日 1863 戒雲恵定信女

 

別の系統では1600年代では禅定門、禅定尼ですが、1700年代になると信士、信女になります。

 

明治4年4月19日 1871 大梁院月峰涼心信士
明治5年8月18日 1872 大梁院秋山妙香信女
昭和13年9月8日 1938 浄心院朴翁長傳居士
昭和16年7月17日 1941 浄心院朴宝妙傳大姉
昭和29年8月21日 1954 瓊雲院湛嚴超道居士
昭和27年5月31日 1952 瓊雲院澄操貞艶大姉

 

こちらの例では、明治初期にすでに院号がつけられています。

 

ここで注意が必要です。

〇〇院や居士に関しては、後の時代に追号した可能性もあります。

昔の先祖の戒名を子孫が寺に変更(追号)してもらう行為です。

 

例えば、「大梁院月峰涼心信士」の場合ひょっとしたら本来は「月峰涼心信士」だったものを子孫が「大梁院」の部分を追号した可能性があります。

 

また、位号を「信士」から「居士」へ追号した場合も確認が必要です。

 

 

上記のものは位牌を削って「信士」を「居士」にしている例です。

 

この家の先祖を確認すると

夫が「本源自性居士」で妻が「戒雲恵定信女」となります。

居士には大姉、信士には信女が対になるので明らかにおかしいことが分かります。

 

家が隆盛した時に、追号したのかもしれません。

 

先祖の戒名を調べていくことで、どの時代で位号が変わっていったか、院号が付く場合があるのか。追号の可能性は。など調査することで分かる場合もあります。

 

家には隆盛があります、明治以降特に戦後大きく発展した家の場合で、後世の子孫が追号する場合、ある時期家が没落して苦労した時にいただいた戒名を、後世の子孫が現在と同じ戒名と釣り合わせる為に、過去の先祖の戒名を追号する場合。

 

更には、先祖の名前は分かっているが、戒名が不明な場合で、のちに追号する場合もあります。

 

戒名1つで色々と調査することがあります。

一番は先祖を年代別にして一覧表を作成して俯瞰的に確認することです。

 

【参考】歴史人物戒名

源頼朝:武皇嘯厚大禅門

 

足利尊氏:等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿

 

織田信長:総見院殿贈大相国一品泰巌大居士

 

豊臣秀吉:国泰祐松院殿霊山俊龍大居士

 

徳川家康:東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士

 

上杉謙信:不識院殿真光謙信

 

武田信玄:法性院機山徳栄軒信玄

 

伊達政宗:瑞巌寺殿貞山禅利大居士

 

今川義元:天沢寺殿四品前礼部侍郎秀峰哲公大居士

 

毛利元就:洞春寺殿日頼洞春大居士

 

長曾我部元親:雪渓如三大居士

 

島津義久:妙谷寺殿貫明存忠庵主

 

 

②俗名③享年④行年⑤続柄

俗名も一般的には記載されている場合が多いです。

また何歳で亡くなったか、どのような関係なのかが一部分かる場合があります。

古い位牌には記載されていないこともありますが、幕末あたりからは記載が増える傾向にあります。

 

 

また、過去帳や墓石からの情報も同様になります。

 

浄土真宗よりも禅宗の方が情報が多く、続柄や享年の情報もしっかり彫ってある場合が多い。

明和二年=1765年

 

位牌、過去帳、お墓の情報が全て同一ではありません。

位牌には続柄記載無いが、お墓には続柄記載してあった。

過去帳にも俗名無かったが、位牌には俗名が記載してあった。

 

そうなると、この3つの情報を一表にしてみることで先祖の情報が充実してきます。

詳細はこちら。

1つの情報だけでは完結しない(過去帳、位牌、お墓)

 

特に禅宗の場合は、浄土真宗に比べてその情報量が多いですので、先祖調査の場合は得られる情報が違います。

 

明治以前は戸籍がありませんので、先祖を探す場合は続柄、俗名、続柄、享年、行年、などから推測していく必要がありますので、情報があればあるほど、精度が増します。

 

もし、自分の先祖の家が禅宗の場合はこのような視点で探すことをお勧めします。

 

まとめ

●先祖が禅宗の場合は戒名、俗名、享年、行年、続柄などの情報が浄土真宗よりも多い。

●まずは位牌、過去帳、墓の情報を1つ1つ調べて一表にする。

●その先祖から情報を1つにしてから先祖の関係性を考えてみる。

●追号されている場合もあるので、夫婦で院号や位号が対になっているか確認する。

●戒名から家の歴史の変遷が垣間見えることもある。

 

公開日2021/6/19

 

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