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同姓の発祥地を3段階方式で確認する





自分の苗字がどのように発祥して拡大していったか?

気になりませんか?

 

具体的に確認するには全国の苗字を確認する必要があります。

 

田中や山本などの大姓の場合は難しいですが、10万位以下の場合はある程度地域で拡大していったかを確認出来ます。

 

苗字の80%は地名に由来しています。

 

その由来の地を本貫地といいます。

 

本貫地を調べるにはこちら

本貫地を探してみよう

 

本貫地が判明したとして何故現在の地に自分がいるのか?

 

概ね5つの大移動がありました。

 

1つ目は鎌倉幕府の創設と承久の乱の処理により、関東の御家人達が東北、西国、九州などに所領を得たことです、守護の場合は家臣を守護代として派遣していましたが、地頭は当時から下向しており全国に苗字が派生しました。

 

2つ目は南北朝時代に様々な場所から移動しています、元寇が原因で鎌倉時代には守護代に任せていた大名も自ら下向した例もあります。

更に、庶流も多く派生して一族同士結束、または内部分裂しながら移動が発生しました。

 

3つ目は応仁の乱以降戦国時代になります、この時代は親兄弟でも戦になれば敵味方に分かれる時代で、勢力拡大した家は庶流を配置する場合や、逆に惣家に叛逆して敗れていく家もありました。

 

4つ目は豊臣時代から江戸時代になります、豊臣時代に転封した家もあり本貫地から全く違う場所になった大名家臣もいます。

江戸時代も関ヶ原の戦いにて領地の拡大や縮小に伴い大名や家臣が大きく動いた時代です。

江戸時代も前半は改易や転封などで移動していった家も多いです。

 

5つ目は明治時代以降です、明治時代も村の支配者階級では長男に勉強させようと都会の学校に進学しそのまま現地に住んだ場合

 

一般的には明治19年や明治31年戸籍の本籍地が江戸時代を通じて先祖が住んでいた地域となります。

今でもその場所に住んでいる若しくは、本家の方が住んでいるという場合など関わり合いがあれば、地域に同姓の方がいるのは判明しているでしょう。

 

しかし、もう少し範囲を広げてみるとどうでしょうか?

 

同じ集落ではなく、村単位では?町単位では?郡や市単位では?

 

ましてや、祖父や曽祖父が田舎から出て都会に住んでおり、既に本籍地であった土地に縁の方がいない場合は尚更不明瞭なところが多いと思います。

 

自分と同じ苗字の分布を調べることにより、同姓の方がどのような分布をしており、どこに多いかを調査することは、先祖探しをする上でも必要なことだと感じます。

 

では具体的にはどうすればいいかを例を交えて説明してみましょう。

 

1段階目は

自分の苗字が何位くらいなのかを検索してみます。

 

それには名字由来netが便利です。

 

 

(例1)

例えば「東海林」さんで自分の本籍地が秋田県の場合。

 

全国927位

 

全国に20100人 いると検索されました。

 

因みにこの名字由来netのいいところは発祥の地も分かることが多いです。

 

このような感じで「東海林」の由来説明もあります。

 

これで自分の苗字の由来や全国はどの位の順位で何人くらいいるかが判明します。

 

2段階目は

それに基づいて、苗字でポン!というサイトで同姓の方がどこにいるかを確認します。

 

「東海林」を入力して検索します。

 

やはり山形県が圧倒的に多いですが、秋田県、宮城県などにも多いです。

 

自分の本籍が秋田県横手市の場合を例にとってみましょう。

 

まず秋田県に540軒の「東海林」がいることが分かります。

 

更に秋田県で調べると。

横手市には129軒の「東海林」がいることが判明

 

更に調べると。

横手市では雄物川町や平鹿町に多いことが判明。

 

雄物川町:約30軒

 

平鹿町:約50軒

 

3段階目は

その家の軒数をイメージ図にしてみます。

 

このようなイメージになります。

 

更に雄物川町や平鹿町を細かく分布調査していくと、どこに多いかが図としてイメージ出来ます。

 

上記の場合「秋田県 横手市 雄物川町大沢坂ノ下」という地域に17世帯と密集している場所があります。

 

また平鹿町では「上吉田」の中にほぼ東海林姓が密集していることも判明出来ました。

 

仮に自分の本籍地が上記の場所に該当する場合には一族がこの地域にで大いに繁茂したいったことが推測出来ます。

 

そこで、市町村史に「東海林」という苗字が記載されていないか?

 

中世の土豪に「東海林」がいないか?

 

庄屋、肝煎に「東海林」がいないか?

 

神社仏閣の檀那に「東海林」という人物がいないか?

 

などを調べていくことで、大いに繁栄していった理由が推測できるかも知れません。

 

山形県が本貫地である東海林氏の一派が何かしらの理由で秋田県に移動、ある一派は由利本庄市に移動、また別の一派は横手市に移動。

 

横手市に移動してきた一派は「雄物川町」や「平鹿町」にて大いに繁栄。

 

市町村史を調べると中世には~~~~~があり、また近世には東海林家は~~~~との記載があり。

 

その中に一族に自分の一族がいる。

 

ひょっとしたら、山形県→由利本庄市→横手市という流れも否定できません。

 

色々と推測してみることが楽しみの1つです。

 

 

上記の場合は比較的苗字の人口が多い場合ですが、少ない場合はどうでしょうか?

(例2)

例えば「滑」氏の場合。

 

【全国順位】 16,445位

【全国人数】 およそ320人

 

【名字の由来解説】

現兵庫県南西部である播磨国明石郡滑村起源とも言われる。
現広島県東部である備後の豪族にして首藤家に仕える臣下。
近年、庄原市など広島県に多数みられる。
とありました。

自分の本籍地が例えば三次市の場合

 

庄原市にいた一族が三次市に移動してきた可能性が高いと思われます。

 

庄原市をもう少し詳しく調べて見ましょう。

 

庄原市では本郷町、上原町、七塚町周辺に密集していることが判明。

 

 

この図からどうも本郷から発祥して広がっていった推測が成り立ちます。

 

そして、名字由来netでは「備後の豪族にして首藤家に仕える臣下」とありました。

 

そこで首藤家の調査をしてみます。

 

首藤氏は山内首藤氏でした。

 

庄原市の市町村史を確認すると、滑氏がこの山内首藤氏の庶流であることが判明しました。

 

山内時通の子どもと判明。

 

庄原市の市町村史では「本郷町滑谷」が発祥と記載されていました。

 

※その他にも「懸田」「黒杭」など珍しい苗字もありました。

 

以上のことから、以下の推測が成り立ちます。

 

山内氏の庶流に「滑谷」を本貫地にした「滑」氏が発祥して、一族は山内家の家臣として臣従。

 

山内氏は戦国時代に毛利氏氏の家臣となる。

 

※この時、滑氏は毛利氏からすれば陪臣として存続。

 

関ヶ原の戦いで山内氏は毛利氏に従って萩に移動したが、陪臣の滑氏は帰農して本郷に残る。

 

江戸時代~現代までに滑氏が近隣の場所に広がる。

 

その一派に三次にいる滑氏が当家と考えられる。

 

例2の場合は稀少姓で尚且つ由来などがしっかりとした場合です、更に珍しい苗字の場合は特定の地域のみに存在している可能性が高いので、更に分かりやすいと思います。

自家の調査での壁は3つあります。

 

1つ目は戸籍調査の限界

これは戸籍以上の調査が困難な場合です、例えば明治時代の本籍地に既に関わっている親戚がいない場合。

 

2つ目は自家の資料の限界

自家の位牌、過去帳、お墓などを調べてこれ以上は遡れない場合。

 

3つ目はお寺の過去帳の限界

最終的にはお寺の過去帳から自家の先祖を抜き出し、しかし、火事で燃えた、協力して頂けないという場合。

 

古くなればなるほど、資料もなく詳しいことが判明できることは少ないですが、同姓の分布図を作成してどのような広がりがあるのか?を確認することは視野の広がりに繋がります。

 

また、調査を行いアンケートを実施することによって新しいことを発見する場合も多いです。

 

同姓調査のアンケートをしてみましょう

運が良ければ、家系図や古文書、家譜などを持っている自宅があるかもしれません。

 

このような小さな積み重ねがデータベースとなり長年やっていくと、ある日当然、点と点が線や面になる時が来ます。

 

【まとめ】

●自分の苗字がどのように広がっていったかを確認することで、先祖がどのように広がっていったかを推測出来る。

 

●インターネットで検索を行えば同姓の分布が把握出来る。

 

●多いところを地図上に記載することでどのように広がっていったのかをイメージ出来る。

 

●自家の調査に行き詰まったらやってみる価値がある。

 

●近隣同姓の方にアンケートをすることで新しい発見もあるかもしれない。

 

 

公開日2020/04/26

更新日2021/08/08

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