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戸籍謄本は一回だけの請求では終わらない

TheDigitalArtist / Pixabay

 




はじめに

先祖探しの最初のアプローチは戸籍謄本の請求になります。

 

自分で本籍の役場に行くのも良し、郵便請求で取り寄せるのも良し。

 

今まで戸籍謄本を見る機会など、ほとんど無かったと思います、しかもどちらかというと、自分の事が記載されている戸籍の取得だけだと思います。

 

戸籍・除籍謄本入手

戸籍謄本(除籍謄本)の郵送請求

 

しかし、先祖探しをするとなると、最大で明治19年版の戸籍まで取得することになります。

 

基本的には「遡るだけ遡って下さい」ということで取得することになりますが、取得ミスや漏れが発生する可能性があります。

 

具体例

例えば戦前の戸籍(大正4年戸籍版)は戦後3世代の掲載ができなくなり、戦後の戸籍(昭和23年戸籍版)になりました。

 

この時大正4年版の戸籍は「改製原戸籍」となります。基本的に戸主の親が亡くなったりしていたり、分家していたりしたら、除籍されている人物がいない場合が多いので、記載内容が同等になると思います。

 

そこでミスや漏れが生じて、この改製原戸籍を飛ばして、その前の世代(戸主の親や兄)の発行となる場合もあるかもしれません。

 

まずは戦前と戦後で同じような内容の戸籍があり「改製原戸籍」というのが発行されているか確認しましょう。

 

次ぎに、大正4年戸籍から明治31年戸籍についてです、一般的には問題ないですが、明治の戸籍になると戸籍の記載ミスや事実と違う記載も発生します。

 

①曾祖父母の名前が戸籍と違う

 

昔は縁起を担ぎました、戸籍名が縁起悪いとなったら通称を別名にしていることも多いケースがあります。

 

私の例では、伯父(戦後生まれ)ですが戸籍名は博行で通称は政行です。

 

生前の祖母や伯父の同級生はマーちゃんって呼んでいました、幼少の頃不思議に思っていました。

 

他にも、高祖父で

戸籍名:愛助

通称:新助

 

別の5代前の先祖が

戸籍名:政助

通称:孫兵衛

でした。

 

この場合は、戸籍の請求通りに取得をしていけばいいので問題ありません。

 

※この場合、戸籍も通称も正しいと判断します。

 

②生没年が位牌やお墓に記載されているものと違う

 

これもよくあります。

 

基本的には位牌やお墓、過去帳の記載が正しいと思われます、特に江戸時代に生まれた方は本当か?という場合もあります。

 

上記例として

六左衛門は天保二年(1831)~明治四十三年(1910)ですが過去帳では行年73才になっています。

 

逆算すると天保八年(1837)に生まれたことになります。

 

ナカは天保八年(1837)~明治三十七年(1904)ですが娘の生没年(1847~1923)から戸籍通りでいくと10才で生んだことになります。

 

戸籍が正しいのか?お墓、過去帳が正しいのか?両方間違っているのか?そもそも戸籍で記載されているのが本当の親なのか?

 

色々と検討をしないといけないこともあるのが明治の戸籍です。

 

しかし、様々な資料を基に検討するのが先祖探しの醍醐味でもあります。

 

分からなくても両方併記することで後世に伝えられます。

 

これも戸籍をスムーズに取得すれば問題ありません。

 

③実際の親が兄として記載。

 

明治時代のあるある戸籍です。

 

この例では治平は嘉永四年(1851)生まれ、澤太郎は明治十一年(1878)生まれ、明照は明治三十八年(1905)生まれとなります。

 

因みに治平の妻(明照の母)も嘉永四年生まれです。

 

つまり、九男の明照は両親が54才の時の子どもになります。

 

父親が54才ならまだ可能性は0ではありませんが、母親が54才で子どもを生むのは現実的ではありません。

 

そこで詳しく聞くと、実は澤太郎の子どもだったようです、そうなると澤太郎27才の時の子どもになり辻褄が合います。

 

どうして、このような戸籍になったのかを確認すると、澤太郎は海外移民に行きその時子どもがいると仕事に支障をきたすために父の子どもにして単身で行ったようです。

 

しかし、だったら母親はどうなったのか?というと籍を入れていなかったようでした。

 

これも、明治時代ではよくあるケースです。

 

恐らく、その後実家に戻ったのだと思われます。

 

この場合この事実を知っている方から聞かないと戸籍が正しいということになります、祖父母(ぎり曾祖父母)の世代で親戚の古老が知っていればいいですが、亡くなっている場合などはその事実を知ることができない場合もあります。

 

この場合も直系尊属が先祖ですので戸籍を取得すれば問題ありません。

 

但し、母親の戸籍が取得できません。

※戸籍上では兄嫁の直系尊属になるため。

④そもそも親が違う(他人の親の戸籍に入っている)

 

特殊な事情で他人の戸籍に実子として入籍している場合もあります。

 

私の例では非常に複雑な事例が1つありました。

 

 

非常に分かりにくいですが、結論は養女だったのに実子になり、本当の父親の戸籍が取れないということです。

 

これも親戚からの話で判明したことで、一回役場に行っただけでは分からなく、戸籍を元に親戚に確認を取りながら判明した事実です。

 

このケースではこの山田スナは私の直系尊属ではないので直接関係はありませんが、どうして言い伝えが気になり、山田甚助の子孫にあたる遠戚とコンタクトが取れたので委任状を書いてもらい戸籍の請求を行いました。

 

遠戚の調査には委任状を貰って戸籍の請求をしてみよう

 

その遠戚の家でも若干伝承が残っておりやはり真実のようでした。

 

どこまでが真実で、どこから尾ひれがついているか、分かりませんが多角的に確認していき真実を洗い出す作業が必要になります。

 

役場の問題

さあここまでは自分達の問題でした、しかしここからは役場の方の問題です。

 

請求をしていくと、これ以上は無いと言われるケースがあります、どう考えてもあるはずなのに係の方から「古いのでないですね~」という場合があります。

 

係の方も明治19年戸籍や明治31年戸籍を毎日見ているケースは稀なので、古いので無いと思い込んでいある場合もあります。

 

役場の戸籍係の方も万能ではありません

 

日本の戸籍制度は大変優秀で廃棄されていない場合は明治19年戸籍まで現存しています。

 

ここは、役場の問題なのでなんとも言えませんが、平成の大合併などで明治19年戸籍や明治31年戸籍が実際に廃棄された役場もあります。

 

また、戦争や火災で焼失した役場もありますので、その自治体の場合は残念ながらありません。

 

しかし、全ての役場の戸籍が廃棄された訳ではありません、人口数万人以下の市町村では明治19年戸籍から残っているところも多いです。

 

どちらかというと現存している役場の方が多いのではないでしょうか?

 

その役場でも勘違いなどで、「これ以上の戸籍はありません」となるケースもあります。

 

その場合は先にこちらとしてある根拠を示して、逆に無い場合は先方に無い根拠を示して貰うことが重要になります。

 

ある場合の根拠

①戸主は明治35年に家督相続しており、父親も戸主の戸籍に記載されているので明治19年戸籍に前戸主である父親が記載されている戸籍があるはず。

 

②戸主の父親が前戸主として記載されているが戸主の上に「亡」の字がないので当時まで生存していると思われる。もう一度前戸主の戸籍が無いか確認して頂けないでしょうか?

 

③この戸主はこの本籍になる前に転籍をしているが、転籍前の本籍地もこの役場内なのであるはず、転籍前の戸籍もあるはずなのでそちらも発行して欲しい。

 

など、根拠を示しながらもう一度確認して貰いましょう、たいていの役場の方は親切に調べて頂けます。

 

それでも無い場合

その場合は証明書を発行して貰いましょう。

 

廃棄されて無い場合の証明書はこちらになります。

きちんと何年以前の戸籍は廃棄した旨の証明書を発行してくれます。

 

次ぎにそもそも無い場合の証明書です。

※一部加工しています。

 

このようにそもそも無い場合の戸籍も保管していないので交付できない旨の証明書を出して貰えます。

 

ここまで、実行したらもう役場では戸籍がないので次ぎに進みます。

 

特に明治19年戸籍があるかないかでその後の進展が変わってきますので、役場で無いと言われて「あ~無いのか」と諦めずに、ひょっとしたら漏れているかも知れないという視点も持ちながら再度確認してみましょう。

 

 

まとめ

①戸籍を役場で請求してきたらよく確認する。

 

②今まで知らなかった事がある場合は親戚に確認する事も必要。

 

③明治時代の戸籍は事実と違う場合もある、遠戚に委任丞を書いて貰えるのであれば確実に書いて貰い請求する。

 

④役場の勘違いである戸籍が請求されていない場合もあるので、本当にないのか?1つ1つ記載を確認していく。

 

⑤もし少しでも疑問があれば、請求してみる(根拠を示す)、無い場合は役場に根拠を示してもらい、証明書を出して貰う。

公開日2019/11/03

更新日2021/08/08

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