城データ
城名:天領上下代官跡
別名:無し
標高:390m
比高:2m
築城年:江戸時代
城主:無し
場所:広島県府中市上下町上下
北緯:東経:34.693907/133.122250
攻城記
広さはそこそこある。
この石垣は後世のものだろう。
井戸跡。
前方には翁山城が見える。
概要
【解説】
元禄11年(1698)水野家が断絶した翌年,幕府は備前藩主池田綱政に,福山藩の検地を行わせ,5万余石を打ち出した。
このため,幕府は,神石郡,甲奴郡,安那郡5万石余を直轄領として,元禄13年(1700)上下に代官所をおいた。
やがて享保2年(1717),中津領に2万石が割かれたのを機会に,代官所は石見大森代官所支配に合わされ,その出張(でばり)陣屋と改められて,神石郡10ヵ村,甲奴郡12ヵ村を管轄した。
その後,管下に多少の出入りがあったが,明治元年(1868)に及んだ。
現在は市役所支所として利用されているが,周囲の石垣は往時のままである。
広島県の文化財 – 天領上下代官所跡のサイトより引用
上下の街並み
open-hinataより【天領上下代官所跡】
城の歴史
元禄13年(1700):上下に代官所を置く。
享保2年(1717):代官所は石見大森代官所支配に合わされ,その出張(でばり)陣屋と改められえう。
明治元年(1868);明治維新となる。
所感
●往時は交通の要所として繁栄していたものと思われる。
●特に大森銀山の銀を尾道まで運ぶのにこの街道を通らなくてはならず、宿場としても繁栄したのではないか。
●今でも当時の雰囲気を感じられる街並みがあった。
関連URL
近隣の城。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/09/04