城データ

城名:桜山城

別名:三原城甲の丸

標高:180m

比高:170m

築城年:文応から文永(1260〜74)頃に山名氏正の居城であったと云われる

城主:山名氏、小早川氏?

場所:広島県三原市桜山町

北緯:東経:34.406863/133.085112

桜山城はここ

 

攻城記

三原城からみた桜山城。

小学校、中学校があるので進んでいくと、看板がある。

この道を進む。

さらに左折すると登口に着く。

登って数分でなぜか立派な石垣発見。

そのまま進んで中腹から見下ろした風景。

三原城も見える。

最初の曲輪へ到着。

細長い曲輪の先端部分。

井戸跡。

かなり大きなサイズであった。

桜山ということで桜が多く植えてある。

土塁もしっかりと残っている。

本丸。

石垣跡。

石組の井戸跡も残っている。

アップ。

本丸から北に降りていく。

堀切になっている。

本丸を臨む。

堀切部分。

土塁。

先にもありそうであるが、引き返す。

二の丸付近。

降りておき小曲輪を確認する。

畝状竪堀群。

最初の曲輪先端に戻り海岸を臨む。

 

位置関係

中世の海岸線

中世時代は桜山の麓まで海岸であったと思われる。

open-hinataより【桜山城】

 

余湖図【桜山城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

頂上部にある南北に細長い主郭には周囲に土塁が巡り,南端部の切岸には石垣が用いられている。

 

また,北半部分では土塁・石塁が食い違いに配されており,石組井戸がある。

 

城の背後(北側)には三条の堀切があり,その間にも石垣で囲まれた郭が配されている。

 

主郭の東下には土塁で囲まれた小郭がありその下には八条の竪堀群,主郭の西下には土塁で囲まれた小郭とその下に横堀,また主郭の南下にも土塁で囲まれた小郭がある。

 

本城跡は文応〜文永年間(1260〜1275)に山名氏が居城したと伝えられているが,遺構には中世後半の特徴が認められ,南下にある三原城と何らかの関係があるものと思われる。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

城の歴史

文応〜文永年間(1260〜1275)に山名氏が居城したとされる。

 

所感

●三原城の詰城という伝承もあるが遺構からして納得した。

 

●見どころは、井戸跡、土塁、石垣、畝状竪堀。

 

●本丸よりも北に更に曲輪がある模様。

 

関連URL

【広島県】三原城【三原市館町】

 

参考URL

城郭放浪記(備後 桜山城)

西国の山城(桜山城)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/07/31

 

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