城データ

城名:万徳院跡

別名:無し

標高:435m

比高:0m

築城年:天正3年(1575)頃に吉川元長によって建立された寺院。

城主:吉川氏

場所:広島県山県郡北広島町舞綱

北緯:東経:34.723666/132.472996

万徳院跡はここ

 

 

攻城記

往時の模型。

正面石段。

庭園跡。

発掘当時。

容光院墓所(吉川広家正室)

 

位置関係

 

余湖図【万徳院跡】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

万徳院跡は,日山城麓に天正2年(1574)に吉川元春の嫡男元長が建設を始めた「諸宗兼学」の寺院跡である。

 

元長は,元亀年間(1570~1573)の末頃から政務に参画するようになり,その中で疑心暗鬼に苛まれる自分を「アマタノ加勢」=大勢の(万)神仏の加護(徳)によって救い,現世利益を享受しようとして,「草庵」を建立した。

 

天正15年(1587)に元長が病死すると,弟の広家は前当主元長の菩提寺として改修した。

境内地には本堂,庫裏,風呂屋,庭園があり,石垣,石段,参道が残る。

 

広島県の文化財 – 万徳院跡より

 

城の歴史

天正2年(1574):吉川元長が建設開始する。

 

天正15年(1587):元長が病死すると,弟の広家は前当主元長の菩提寺として改修する。

 

天正19年(1591):吉川広家の正室である容光院が亡くなるとこの寺に葬った。

 

城主家系図

 

所感

●400年ぶりに発掘、整備保存のされており往時を偲ぶことが出来る。

 

●庭園や風呂(サウナ)も復元されている。

 

●最初に現れる石段、石垣のスケールに圧倒される。

 

関連URL

【広島県】吉川元春館跡【山県郡北広島町海応寺】

近隣にあった吉川氏の館跡。

 

参考URL

万徳院(ウッキペディア)

城郭放浪記(安芸万徳院跡)

西国の山城(万徳院跡)

吉川元長(ウッキペディア)

吉川広家(ウッキペディア)

容光院(ウッキペディア)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『安芸の城館』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/02/11

 

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