城データ

城名:幡屋城

別名:無し

標高:314m

比高:180m

築城年:南北朝時代

城主:口羽下野守光慶か、口羽氏

場所:島根県邑智郡邑南町大字下口羽

北緯:東経:34.879552/132.655263

幡屋城はここ

 

攻城記

幡屋城全景。

前の民家がある部分がそこが土居と呼ばれている場所。

 

登城路は無い為、土居の集落の裏からよじ登る(かなり急)

直登して尾根に到着。

堀切。

こちらも堀切。

曲輪。

土居方向を臨む。

本丸。

本丸はそこそこ広い。

しっかりとした削平地。

 

位置関係

 

余湖図【幡屋城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

主郭から伸びる稜線上に郭を配し、堀切によって支脈伝いの攻撃に備えている。特に東側の稜線が堅国に固められている。

 

その東側の山裾には「土居」の地名が残っており、居館と詰の城の関係を想起させる。

 

島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』より引用

 

幡屋城

幡屋城は出羽川が大きく弓形に曲がっている上口羽の原田と下口羽の根布との中間にそびえている山の稜線にあった。

 

頂上には三〇〇mの削平地があり、 そこから下方に向かって七〇~八〇mの削平地が階段状に八か所もあるなど、 かなり規模の大きな城であったが、高畑城と共に高橋氏の備後方面への進出の 拠点であったものと思われる。

 

『日本城郭大系』14より引用。

 

幡屋城

城の南西出羽川対岸に幡屋城とよばれる堅固な山城跡 がある。

 

上口羽にまたがる標高三一一メートル・比高一 九〇メートルの山塊頂上を本丸とし、三方の尾根に郭を階段状に配し、北東に延びる長い尾根にはさらに二方に九段もの郭群を設けている。

 

城の東麓、下口羽地内の集 落は土居といわれ、山際に数基の宝篋印塔・五輪塔からなる墓地があり、善林寺の地名も残る。

 

文明八年(一四七六)九月一五日に高橋氏が益田氏と結んだ契状(益田家什書) に傘連判を加えた者の一人として口羽下野守光慶の名が みえ、この地を本貫地としたともいわれる。

 

また志道通良が琵琶甲城築城以前に居城としたとも考えられる。

 

『島根県の地名』より引用。

 

幡屋城

【城史】

南北朝時代の文和二年(一三五三)阿須那に来住した 高橋氏により口羽支配の拠点として築かれたと考えられている。

 

しかし現在の縄張りは戦国期に大きく改修された後のものと考えている。

 

文明八年(一四七六)の益田氏と高橋命千代との盟約 状には「同名被官者共」の一人として口羽下野守光慶が署名している。

 

また翌九年には下口羽八幡宮を大宅光慶が建立したとされている。

 

この口羽下野守光慶と大宅光慶は同一人物と考えられることから、このときには大宅 (高橋)氏の一族が在城していたものと思われる。

 

羽須美地内には高橋氏に関すると考えられている山城が多数知られているが、その中では最も普請が整った山城であり、ある時期にはここを居城としていた可能性も 考えられる。

 

享禄三年(一五三〇)高橋氏が滅んだ後 にこの城が使われたかどうかは不明である。

 

【城の特徴】

城の麓の集落は土居と呼ばれている。

 

ここには比較的 大きな五輪塔数基がみられる他、松ヶ壇古墓と呼ばれる 十六世紀頃の中世火葬墓が発見されている。

 

輸入陶磁器を伴っていることからかなりの有力者の墓と考えられて おり、幡屋城との関係が注目されている。

 

地名や遺構からこの付近に幡屋城主の居館があったものと思われる。

 

これは、城主の日常的な居館といざというときの詰めの 城との位置関係を示す典型例であるといえよう。

 

また城の縄張りをよく観察すると、南北朝期〜室町時 代の普請の甘い城を戦国間に規模を小さくし、より要害 性の高い城に作り替えていることがみてとれる。(吉川 正)

 

『石見の山城』より一部引用。

 

城の歴史

文和2年(1353):この地に来住した高橋氏により築城されたと思われる。

 

文明8年(1478):益田氏と高橋命千代との盟約 状には「同名被官者共」の一人として口羽下野守光慶が署名していることから、城主と推定される。

 

文明9年(1479):下口羽八幡宮を大宅光慶が建立したとされている。大宅は高橋氏の本姓であり、口羽氏が高橋氏の一族だと思われる。

 

享禄3年(1530):毛利氏により高橋氏が滅ぼされる、この地を支配した口羽氏が琵琶甲城を築城する前に一時的に使用した可能性も否定できない。

 

所感

●この幡屋城が高橋氏がこの地に来て最初に築いた城ではないか。

 

●城の規模もさることながら、その急峻さに難攻不落の城であったと思われる。

 

●麓には土居という地名もあり、古い宝篋印塔などもあるようなので確認したかった。

 

●地元の方に聞いたがその場所に城があるという話は聞いたことがあるが実際に行った事はないようだ。

※年配の方に聞いたが、年配の方であれば幼少のころに山野を駆け巡り行ったこともありそうだが。

 

●この後に藤掛城に本拠を移しさらに二つ山城、本城と拠点を移していったものと考えられないか。

 

関連URL

【島根県】琵琶甲城【邑智郡邑南町下口羽】

幡屋城が廃城になった後に口羽氏が新しく築城した城。

【島根県】藤掛城【邑智郡邑南町阿須那】

高橋氏本城。

【島根県】槙尾城【邑智郡邑南町羽須美大字上田】

近隣の槇尾城。

ここにも高橋一族がいたと思われる。

 

参考URL

戦国日本の津々浦々 ライト版(口羽光慶)

武家家伝(石見髙橋氏)

 

参考文献

『島根県中近世城館跡分布調査報告書』

『日本城郭大系』14

『島根県の地名』

『島根県地名大辞典』

『石見の山城』

『萩藩諸家系譜』

『萩藩閥閲録』

『毛利八箇国御時代分限帳』

公開日2022/01/08

 

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