城データ

城名:田内城

別名:無し

標高:58m

比高:45m

築城年:興国年間(1340~46)に伯耆国守護山名時氏によって築かれたと伝わる。

城主:山名時氏

場所:鳥取県倉吉市巌城

北緯:東経:35.442774/133.838073

田内城はここ

 

 

攻城記

田内神社が麓にある。

社殿。

この神社も山名氏の祈願所であったと思われる。

 

ここら辺から直登する。

二の丸発見。

草木があり良く分からない。

本丸に到着。

模擬天守もある。

田内城から眼下を見下ろす。

周辺部。

あとから確認するとちゃんと登山口があった。

田内城全景。

 

 

位置関係

 

余湖図【田内城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

倉吉市の北側、小鴨川と天神川の合流地点の西側に位置する。

 

築城は1340年(興国元年)、伯耆守護山名時氏によると伝えられる。

 

田内神社の背後の丘陵地にあり、丘陵の頂部から北側に伸びる尾根筋に郭群が設けられる。

 

西側斜面地には、帯郭状に伸びた狭長な平坦地から間隔をあけて竪掘状の遺構が確認できる。

 

標高40mの位置にする長方形状の郭は南西部に土塁を設け、西側に堀状の遺構が巡る。

 

『鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)』より引用。

 

田內城跡 倉吉市巌城 全源院

田内集落の西、向山から南に派生する丘陵の東部、高さ五八メートルの急峻な仏石山の山頂に位置する。

 

南側裾部を小鴨川が流れる。

 

建武四年(一三三七)伯者守護に任ぜられた山名時氏による築城とされ、守護所も併設され ていたと伝える。

 

しかし時氏の子左衛門佐師義が南西方、 小鴨川対岸の打吹山に打吹城を築いて居城としたため(延文年中のことと伝える)、当城の役割は薄れたという「伯耆民諺記」など)。

 

縄張りは仏石山の最高所に主郭を置き、北側に延びる尾根上に六段の郭を連続して配する。

 

最下段の郭の北側から西側にかけて堀切が施され、主郭の中央 部付近に礎石状の石が数個所在するが詳細は不明。

 

なお近年田内集落の奥、仏石山北麓の上養水で時氏時代の館 跡かと思われる遺構が発掘された。

 

『鳥取県の地名』より引用。

 

城の歴史

興国年間(1340~46):山名時氏によって築かれる。

 

延文年間(1356〜61):山名師義が打吹城を築いて居城とした為廃城になる。

 

城主家系図

 

所感

●いつもながらルートが分からずに直登実施。

 

●曲輪も多くあり、伯耆国守護の居城としてはいいと思われる。

 

●僅かな期間しか居城として使用されていないのは、城の防備に不安を感じたからか。

 

関連URL

【鳥取県】打吹城【倉吉市打吹山】

次の居城である打吹城

 

参考URL

田内城(ウッキペディア)

城郭放浪記(伯耆田内城)

西国の山城(田内城)

山城攻城日記(田内城)

山名時氏(ウッキペディア)

 

参考文献

『日本城郭大系』14

『鳥取県の地名』

『鳥取県地名大辞典』

公開日2021/12/12

 

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