城データ

城名:丸亀城

別名:亀山城、蓬莱城

標高:67m

比高:60m

築城年:慶長2年(1597)に生駒親正により築城

城主:生駒氏、山崎氏、京極氏

場所:香川県丸亀市一番丁

北緯:東経:34.286256/133.800096

丸亀城はここ

 

 

攻城記

丸亀城全景。

城門。

堀の石垣。

しっかりした城門が現存している。

奥へ進む。

鏡石。

門が立派な城。

丸亀城の特徴は圧倒的な石垣。

圧巻の高石垣。

上部に進む。

最上部も石垣が積み上げられている。

天守閣が見えてきた。

本丸を囲む石垣。

上から見下ろすとこの位の高さになる。

三の丸井戸。

讃岐富士。

三の丸に進む。

二の丸。

本丸に到着。

やはり高い。

本丸周辺石垣。

刻印。

いろんな角度からでも絵になる丸亀城。

 

余湖図【丸亀城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

丸亀城跡 丸亀市一番丁

城下の南にある亀山に築かれた平山城。

 

初め生駒氏、 のち丸亀藩主山崎氏・京極氏の居城。亀山城・蓬萊城ともよばれる。

 

国指定史跡。応仁年間(一四六七ー六九)には 、 鵜足・那珂両郡を得た細川氏の武将で、聖通寺城(現線歌 しょぅつう 郡宇多津町)の城主奈良元安の支城があったとされる(南海通記)。

 

 

天正一五年(一五八七)豊臣秀吉から讃岐一五万石を封ぜ られた生駒親正は、高松城の支城を丸亀に築き子の一正 の居城とした。

 

築城は慶長二年(一五九七)開始され、同七年頃完成(生駒記・西府志)、同年亀山の北にあった山北八幡宮が那珂郡柞感郷に移された。

 

「西府志」には「亀 山ノ城ヲ築キ玉フ時神異アリ」とある。

 

関ヶ原の戦後は 徳川家康方についた一正が藩主となって高松へ移ったた め、城代時代が続いた。

 

元和元年(一六一五)の一国一城令 により廃城、堀が埋められ城は取壊された。

 

讃岐国丸亀 之城図・讃岐丸亀城以中図宿之(尊経閣文庫蔵)などによれば、内堀・外堀・山上全体の規模は現在の状態とあまり変わらない。

 

形態は平面では高松城に似ており、同城の中心の本丸・二の丸を山上にあげ、その下に曲輪を設ける形で築造されたと考えられる。

 

山上に本丸・二の丸・三の丸・巽曲輪・乾曲輪などが配され、大手門は南にあり、その北西山上に枡形門がみえる。

 

東西二〇間・南北 三〇間の本丸に高さ二間の天守台があった。

 

廃城の際の破壊はかなり徹底して行われたらしく、生駒氏時代の遺構はほとんど残っていない。

 

ただし、二の丸の井戸や石 垣の一部の野面積みを遺構とする説がある。

 

寛永一七年(一六四〇)の生駒騒動による駒氏転封後、讃岐は伊予の三藩主が分割して預かり治めた。

 

同一八年 、 西讃岐は山崎家治が五万六七石余で丸亀に入封する。

 

三野・豊田・多度の三郡、那珂郡のうち二二ヵ村、鵜足郡 とよ た 土居村・三浦を領有した。

 

家治は翌一九年丸亀城再築の 許可を申請し、翌年老中より築城のため銀三〇〇貫を下賜され、当年の参勤を免除された(山崎文書)。

 

築城にあた り「山崎甲斐守様丸亀領五万石御拝知成さられ候、丸亀 御城御取立に付入札これあり」(「覚」平田文書)と、入札が行われたようである。

 

城造りの名人といわれた家治。 旋式の縄張りをもつ大規模な城郭構築に着手した。

 

山崎氏は三代一七年間で断絶、城の構築は万治元年(一六五八) 入封した京極氏に受継がれるが、大部分は山崎氏時代に 完成された。

 

同三年京極高和は城郭図を幕府に提出し、 城普請の指図を仰いでいるが、このとき普請を願出た山上の櫓六ヵ所および東側石垣、山下の櫓四ヵ所および居 屋敷曲輪石垣、そのほか多聞・塀などの個所が山崎氏時代に築造されていなかった部分と考えられる(青文書)。

 

京極氏時代には北の内堀に面した中央部に石垣が造られ、 大手門・枡形が新規築造されたほかは修理・堀浚など が行われたにすぎず、山上はほとんど変化がなかった。

 

『香川県の地名より引用』

 

 

城の歴史

室町時代:この地に細川氏の家臣である奈良元安が砦を築くとある。

 

慶長2年(1597):生駒親正が讃岐17万石を与えられ、高松城の支城として亀山に城を築く。

 

慶長7年(1602):城が完成する。

 

元和元年(1615):一国一城令にて一旦廃城となる。

 

寛永18年(1641):山崎家治が5万石で入部、丸亀藩の立藩。

 

寛永20年(1643):幕府から銀300貫を与えれ再度築城する。

 

万治元年(1658):山崎氏無嗣断絶により、京極高和が6万石で入城する。以後明治時代まで京極氏の居城となる。

 

城主石高

生駒時代:170,000石

山崎時代:50,000石

京極時代:60,000石

 

所感

●日本一高い石垣で遠くからみると強固な要塞の感じを受ける。

 

●石垣の下からみるとその高さが更にわかり、圧倒される。

 

●現存12天守の1つとしていまでも地域の方に愛されている城。

 

関連URL

 

参考URL

丸亀城(ウッキペディア)

城郭放浪記(讃岐丸亀城)

生駒親正(ウッキペディア)

山崎家治(ウッキペディア)

京極高和(ウッキペディア)

 

参考文献

『香川県の地名』

『日本城郭大系』15

公開日2021/10/24

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