城データ
城名:矢能の砦
標高:145m
比高:20m
築城年:応永年間(1394~1428)辺りまで遡れる可能性がある。
城主:宇野氏一族
場所:兵庫県佐用郡佐用町矢能
北緯:東経:34.999659/134.411326
攻城記
砦でありすぐに登れる。
城内は広い削平利になっている。
若干の堀切のような感じ。
周辺部。
本丸部分。
畑として利用。
麓には五輪塔がある。
位置関係
熊見城の北東、徳久城の南に位置。
余湖図【矢能の砦】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
ひなたGIS【矢能の砦】
城の概要
矢能の砦
矢化集落西端の標高一五〇mの丘陵上に矢能の砦がある。
栗林として開拓さ れており、旧状を失っていると思われるが、縦二六m、横四六mの平坦地があり、階側に二六・九mにわたって土塁がある。
また北側の神社のある平坦地と の間に上幅八mの横状の空場がある。
さらに東方に続く平坦地には室町時代初期のものとみられる五輪塔二基がある。
城に関係のある人の墓とすれば、この城の築かれた時期も応永年間(一三九四―一四二八)までさかのぼることができよう。
しかし、宇野氏一族の城であったと伝えられる以外、築造者も、その後 の誠主も明らかではない。
『日本城郭大系』12より引用
矢能ノ砦
矢能ノ砦 東徳久字矢能の台地にあって、ほとんどが畑地のところです。
この砦は柏原城の出城で、ここへは、三日月町乃井野字押ヶ谷より、大谷川に沿った古い道もあり、この備えのために砦が築かれたものと思われ、主として東徳久地区を支配していたと考えられます。
荒神社近くの谷状の凹地は仕切堀の跡のようで、 東の斜面には、当時の面影はほとんど残っていませんが、西側斜面には犬走りの跡と思われるところが みられます。
この台地は西風が非常に強いため、人家は昔からここにはなく、東側にあったと考えられます。
【城史】 宇野一族の砦というだけで、城主も築城年代もあきらかでない。
【現状】 矢能と田端の両集落を境する標高150mの丘の上にある。城跡は栗林に開墾されているが、なお26mX46mの平坦地があり、西側に26.9mにわたって土塁が築かれている。
東側は神社のある平坦地との間には上幅3m、下幅1mの楔状の堀が築かれている。
東の方一段低い削平地には室町初期とみられる五輪塔2基が並んでいる。
引用資料不明
城の歴史
徳久城の支城として築城されたと思われるが、詳細は不明、比高も低く、城というよりは砦で異変を徳久城に伝える役割か。
所感
●砦であり本格的な防備はあまりなさそうであるが、城域は広いので大人数を収容することは可能、村の城の性格を有しているのか。
●現在は大半が畑となっており、遺構の確認はほぼできないが北に若干の窪みがあり、堀切の跡であったと思われる。
●麓には五輪塔があり、形態から室町時代の様相を示している。
関連URL
本城である徳久城。
宇野氏の居城。
参考URL
参考文献
『兵庫県の地名』
『日本城郭大系』12
公開日2021/09/25