はじめに
田舎に祖父母がいてまだ古い家がある方!!
今のうちに画像の保存と平面図を残しておきませんか!!
目的は家の歴史の永続的な保存です、よく、祖父母や叔父の話のなかで、家の話がでてきましたが、今の構造と昔の構造が違うようでした。
祖母は生前いつもの口癖で
「嫁に来た時には柱しかない家に嫁いだ」
「苦心して改築して今のような家にした」
「お爺さんは働かんかった」
というようなことを言っていました。
冗談半分本気半分だったのでしょう。
また、父親の話では、堀こたつがあったが、乳飲み子が誤ってこたつに落ちたら行けないので、大黒柱に赤ん坊(恐らく弟)を縄でくくりつけていた、とも聞いたことがあります。
まずは、昔の古い家の写真から現代の写真までないか確認してみましょう。
最古の写真:昭和20~30年代頃
●屋根の上に空気を逃がす場所がある。
●障子で全体を締めている。
●それを木の襖で閉める。
●電気は既に通っている。
●土塀の場所が見てとれる。
●畑の前に木が3本立っており、横にも木の棒を通しているものがあるが、牛をつなげるもの。
●家の外にも小さな小屋があった。
●キンモクセイの木が写っているが、この当時はまだ小さい。
改装後の写真:昭和40~50年代頃
●屋根の上の空気を逃がす場所は閉じられている。
※この頃から薪を使用することが無くなったと推測。
●昭和30年代の写真では玄関の左にも扉があったが、昭和50年代の写真では無くなっている。
●土塀が無くなり、トタンのようなもので覆っている。
●1階は襖、障子からサッシに変更している。
●2階はまだ、木の障子のまま。
平成の写真
●2階部分もサッシになっている。
●牛を繋ぐ場所は撤去。
●瓦部分以外はほぼ変更している。
●キンモクセイの木が大きくなっている。
このように、長い年月の間には改築もあり、構造も変化していることが分ります。
また、部屋の中も可能な限り部屋ごとに画像として保管しておきましょう、この場合、トイレやお風呂や物置なども必ず撮っておきましょう。
この画像を基に出来ればその平面図を作成すれば、更にイメージしやくすなります。
こちらも画像を何枚も撮っておきましょう。
そして、家の図面を作成して、そこに場所を記載、画像も添付。
そうすることで、家の外側だけでなく、中も分かりやすくなります。
イメージ図
いつか家も建て直しや人が住まなくなり解体される時がきます。
その時に、画像と平面図が残っていたら、後世の子孫も当時のご先祖様はこのようなところに住んでいたんだと思って貰えるでしょう。
特に、江戸時代から明治に建築された家などは重要です、残っていることが貴重ですし、当時の生活が想像出来る貴重な資料になり得ます。
また、家によっては「家印」というものがあるかもしれません。
日本大百科全書によれば「家印」は以下の説明になっています。
各家の所有を示す占有標のこと。広義には木印、耳印、窯印、帆印なども含むが、一般には各家庭で用いる道具や下駄(げた)、傘など、家財につける印をいう。
墨で書くこともあるが、のちには焼き印を用いるようになった。
家印には、本家・分家関係を表すものもあり、同一系統の印をつけることにより、同族意識を強調したものであろう。
家紋も家印の一種であるが、これは公家(くげ)が牛車(ぎっしゃ)などにつけた装飾的要素の強い印から、江戸時代に武家の紋章となり、一般に伝播(でんぱ)したもので、庶民の共同生活のなかから必然的に生じた家印とは、その発生においてやや性格を異にしている。
しかし武家が用いた動機は他と識別することであり、家印の要素と同一である。
『日本大百科全書』より
「家印」は壁や瓦などにある場合が多いですので、塀も全体を確認、瓦も軒瓦などに無いか確認してみましょう。
また、あれば両親、祖父母、叔父叔母などにその「家印」の由来を聞いてみると先祖に関しての由来が広がります。
よく、市町村史に近世の庄屋家の平面図が載っている場合がありますが、それをヒントに庄屋の家でなくても、自宅の家を同じように画像や図面として残せられるのではと思ったのが動機でした。
【まとめ】
●今ある家も将来は無くなる可能性があるので画像で保存する。
●画像で撮るところは、家の外周、家の中、トイレ、お風呂、物置など全て。
●家周囲の壁や瓦を確認すると家印があるかもしれない。
●可能であれば平面図を作成する。
●祖父母、両親、叔父叔母から家の事を聞いてみる。
公開日2019/5/28
更新日2021/07/10